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時代の進化を憲法に照らして考える 

働くお母さまの為の離婚相談

コロナ禍で、どうも世の中全体が後退しているような閉塞感があります。

 

本当に社会は退化しているのか?

 

憲法の価値という観点を通して、少し長めの歴史的スパンから考えてみたいと思います。

<目次>

1. 憲法が実現しようとしている3つの価値

2.憲法の3つの価値の観点から見た時代の比較

3.進化の中での、現代的な課題

 

 

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1. 憲法が実現しようとしている3つの価値

今の時代が社会的に進化しているのか、後退しているのか、これについては、73年前に施行された日本国憲法を起点に考えてみたいと思います。

 

日本国憲法の最も重要な価値は、13条の個人の尊厳です。

 

あらゆる権力から、個人が犠牲になることを防止し、個人の価値を守るというところに、憲法の中核的価値があります。

 

そして、憲法は、この最も重要な個人の尊厳という価値を実現するために、3つの理想を謳っています。

 

1つは戦争の放棄(9条)。

 

戦争は、権力によって個人が犠牲になる最たるものです。

 

この戦争を放棄したことが1つ目の理想です。

 

2つ目は、国家権力からの人権侵害を防止し、個人の自由を保障することです。

 

表現行為や思想信条によって、国家権力から弾圧されることを防止する、表現の自由(21条)や思想良心の自由(19条)がその典型です。

 

3つ目は、社会保障などの社会権を保障したことです。

 

健康で文化的な最低限度の生活を保障した生存権(25条)や、教育を受ける権利(26条)がその典型です。

 

この、憲法が実現しようとした3つの価値の観点からみて、第二次世界大戦が終結した1945年の前(戦前・戦中)とその後(戦後)で比較し、現在を見てみたいと思います。

 

2.憲法の3つの価値の観点から見た時代の比較

(1)戦争の放棄

まず、戦争の点ですが、明治維新である1867年から第二次世界大戦の終結した1945年までの78年間(明治、大正、昭和初期)で、大きな国家間の戦争は、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、日中戦争、第二次世界大戦と5つあります。

 

その他にも、小さな局地戦のような戦争、たとえば、ドイツ領だった青島の攻略、シベリア出兵、ノモンハン事件などの小さな戦争もこの間に無数にありました。

 

こうした大小の戦争の度に、多数の国民が動員され、犠牲になっていきました。

 

それに対して戦後は、日本は1度も国家間の戦争に巻き込まれることはなく、約75年以上の期間、平和が保たれています。

 

そもそも、19世紀から20世紀初頭にかけては、世界中でも多くの戦争が起き、そのたびに人々が犠牲になりました。

 

しかし、現代では、今も戦争はあるものの、その数は圧倒的に少なくなっています。

 

20世紀初頭までは、世界も弱肉強食であり、力の弱い国は他国の植民地になることを強いられましたが、現代では力の強い国であってもそう簡単には侵略戦争は起こせなくなっています。

 

その意味で、不十分ながらも時代は進歩していると言えそうです。

 

(2)国家権力からの自由

戦前の世の中では、天下の悪法と言われた治安維持法が猛威を振るっていました。

 

天皇制や戦争に反対する言論を行えば、すぐに国家権力によって弾圧されました。

 

刑事手続もいい加減なもので、小林多喜二のように、警察署内で警察官に拷問されて虐殺されるようなことも多々ありました。

 

翻って、戦後には憲法によって表現の自由や思想良心の自由が保障され、また、刑事事件についても厳格な手続が定められました(憲法31条以下・適正手続)。

 

確かに、今でも国家権力による弾圧事件や、刑事のえん罪事件などが起きており、国家権力からの自由が完璧に守られているとは言いがたい状況です。

 

それでも、個人もツイッターなどのSNSによって自由に発言できるようになりましたし、国家権力を批判したからといって、それだけで処罰されるということもありません。

 

そのような意味では、国家権力からの自由という点についても、戦前の暗黒の世の中に比べれば、戦後の世の中は不十分ながらも進化していると言えるのではないでしょうか。

 

(3)社会権の保障

戦前にも、社会保障制度がなかったわけではありませんが、極めて貧弱な制度しかありませんでした。

 

したがって、貧困と経済格差の酷さは現代の比ではありませんでした。

 

国民の大多数は農民(しかも土地を持たない小作農)であり、義務教育も小学校まででしたので、教育を受けることもままなりませんでした。

 

戦前の大学進学率は5%程度であり、大多数の国民は高等教育を受けることはできませんでした。

 

戦後になって、財閥解体と農地改革により、戦前の財閥と大地主が解体を余儀なくされました。

 

そして、日本国憲法には生存権や教育を受ける権利といった社会権が保障されるようになりました。

 

これにより、生活保護制度ができ、不十分ながらも最低限度の生活が保障されるようになりました。

 

また、教育を受ける権利が保障され、中学校まで義務教育となりました。

 

そして、現在では大学進学率が50%を超えるようになっています。

 

今でも貧困と格差があり、高等教育を受けたくても受けられない人は多数いるという問題はありながらも、国民の過半数が高等教育を受けることができるようになったのは、これまた歴史的に見れば大きな進化と言えるのではないでしょうか。

 

3.進化の中での、現代的な課題

このように、大きな歴史的な視点に立てば、世の中は確実に進化しながら進んできていると言えます。

 

ただ、現在の状態が十分であるとは到底言えません。

 

戦争の問題について言えば、確かに戦後は日本が直接戦争をすることはなかったものの、朝鮮戦争でもベトナム戦争でも、間接的には戦争に関わってきています。

 

1990年代からは、自衛隊の海外派兵が始まり、自衛隊員が戦地で犠牲になるリスクが現実化しています。

 

沖縄をはじめとした、在日米軍の問題も未解決です。

 

国家権力からの自由の観点で言えば、コロナ禍において、より国家による監視社会化が進むことが懸念されています。

 

治安の維持やコロナ対策はもちろん重要ですが、他方で、治安維持法が終戦まで猛威を振るい続けたように、国家権力からの自由は、一度決定的に壊されてしまうと、再生が不可能になってしまうという危険性があります。

 

社会権の問題についても、戦後長らく経済的な中間層が厚かった日本においても、この中間層が破壊され、貧富の格差がここ20年余りのうちにかなり進んでいます。

 

今でも、三度の食事に困っていたり、餓死してしまう人がわが国にいるという問題はとても深刻です。

 

このように、現実は、憲法の3つの理想からはまだまだ遠い状態にあることは確かです。

 

しかし、歴史的に見れば確実に進化してきていることを忘れてはなりません。

 

そして、このコロナ禍による一時的な後退にめげることなく、憲法の理想を実現すべく、これからも進んでいくしかないと思います。

憲法というものは確かに理想です。

 

あれは現実の姿ではありません。

 

しかし、これまでの歴史もそうですが、理想を掲げるからこそ人類は進化するのです。

 

その理想を持つこと自体を放棄することは、人類の進化を否定することに他ならないのです。

 

いろいろありながらも、長いスパンで見れば人類は確実に進化しているのです。

 

自信を持って行きましょう!

 

 

 

【編集後記】

ついに我が家にも定額給付金が支給されました。

 

ただ、うちは妻が世帯主なので、妻の口座に家族分全額が支給されており、私の分の10万円をくれそうにありません。

 

これだから、世帯主にまとめて支給するなどというシステムには反対なのです(泣)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  
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