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ボクが弁護士になりたいと言ったとき、みんなが笑いました。でも・・・(4)

働くお母さまの為の離婚相談

弁護士になるためには、司法試験という難関国家試験に合格しなければなりません。

 

通常、司法試験に合格するのは、東大や京大、早稲田、慶應、中央といういわゆる一流大学の出身者がその大半を占めています。

 

しかし、私は駒澤大学の出身。

 

少なくとも当時はほとんど司法試験の合格実績がない大学でした。

 

そんな、非エリートの私が、どのように司法試験に合格して弁護士になったかをお話します。

第4回 初めて司法試験を受けようかと思った!

<目次>

1.法律の勉強にのめり込んだ大学院時代

2.「弁護士・中坊公平 すべては現場に始まる 森永ヒ素ミルク事件」の衝撃

 

 

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1.法律の勉強にのめり込んだ大学院時代

大学院に進学すると、学部生の頃とは異なり、学生の待遇が非常に良くなりました。

 

大学院生用の研究室が大学から与えられ、勉強用の専用の机と椅子も用意されます。

 

すっかり気を良くした私は、大学院に入ってからますます法律の勉強にのめり込みました。

 

私が大学院で専攻していたのは会社法ですが、2年間の大学院修士課程で修士論文を執筆しなければなりません。

 

私は、この修士論文を早々に執筆してしまおうと考え、連日、大学院の研究室と大学の図書館に入り浸り、勉強に没頭しました。

 

専用の研究室が与えられ、「オレもなかなかのもんだ、こんな研究室で勉強して」と、そんな自分の姿に酔っていたのかも知れません。

 

大学院の修士論文を書くためには、様々な文献や裁判例を資料として集めて読み込まなければなりません。

 

ところが、当時はまだインターネットがそれほど発達しておらず、資料集めはほぼすべて大学の図書館で文献を借りて、それをコピーして勉強していました。

 

こうして、大学院の1年生の夏休みはほとんど遊ばずに研究室に連日通い、ほぼ修士論文の原型を書き上げてしまいました。

 

この頃は、いわばまだ自己満足の勉強に過ぎませんでしたが、私は、あれほど勉強が嫌いだった自分がこれだけ勉強に没頭するという変わり様に、自分自身が驚いていました。

 

また、この大学院の研究室では、学部や学科をまたいで、経済学部や経営学部、仏教学部(駒澤大学はもともと仏教の大学です)の院生など、いろいろな研究室の人たちと仲良くなりました。

 

大学院生は学部生とは違って少人数ですので、学部や学科をまたいですぐに親しくなりました。

 

それこそ、夜研究室で勉強していると、誰かがお酒を買ってきて、そのまま研究室で酒盛りが始まる、なんてこともよくありました。

 

とても楽しかったですねぇ。

 

ただ、やはり学部生の頃の、ただ遊んでいるだけで楽しかった友だち関係とは異なり、院生はみんなそれぞれ目的意識を持って勉強しにきている人たちでしたので、それぞれ切磋琢磨して刺激しあうという、とても良い関係でした。

 

この頃の院生の仲間たちと過ごした一時期は、私の青春にとって大変貴重な財産となっています。

 

この院生時代に仲の良かった先輩で、本業の大学の研究者になった人、公認会計士試験や税理士試験に合格した人などがおり、今はみなそれぞれが活躍されています。

 

2.「弁護士・中坊公平 すべては現場に始まる 森永ヒ素ミルク事件」の衝撃

そして、大学院の1年生の秋のことでした。

私は、当時のNHKのETV特集という番組で、「弁護士・中坊公平 すべては現場に始まる 森永ヒ素ミルク事件」という番組を見て、自分の人生が変わるほどの衝撃を受けることになったのです。

 

中坊公平氏は、もう亡くなられましたが、元日弁連会長で、森永ヒ素ミルク事件や豊田商事事件などの大型事件を手掛け、バブル崩壊の後始末をした住宅金融債権管理機構(いわゆる「住専」)の社長にも就任した大物弁護士です。

 

森永ヒ素ミルク事件というのは、1955年頃から主に西日本を中心として起きた、森永乳業製の粉ミルクにヒ素が混入しており、そのミルクを飲んだ乳幼児に多数の死者や中毒患者を出したという未曾有の公害事件です。

 

中坊氏は、この森永ヒ素ミルク事件の弁護団長に就任し、ヒ素ミルクによって子どもが亡くなった家庭や重篤な後遺障害が残った家庭を1軒1軒訪問し、被害救済のための活動を行いました。

 

私はそれまで、恥ずかしながら、基本的には自分のことしか考えたことのなかった人生であり、何か世の中のため、社会のために自分がどう生きるべきかといったことをほとんど考えたことのない人間でした。

 

ですから、こうした戦後の大型公害事件に立ち向かい、被害救済のために尽力する中坊弁護士の姿に感動するとともに、こういう生き方もあるのか、ということを学びました。

 

ちょうど法律の勉強がとても面白くなって没頭している時期に、こうした番組を見てしまった私は、自分も司法試験を受けて弁護士になりたい、弁護士になって法律を武器にこうした社会の問題に取り組みたいと強く思うようになったのです。

 

しかし、しかし、まだまだ私にとって、司法試験は極めて高いハードルとしてそびえ立っていました。

 

次回からは、いよいよ私がどのように司法試験の勉強に突入していったかをお話しします。

 

それでは、また。

 

 

 

 

  
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